生まれ育った熊本の地で、祖父・父と受け継がれた家業に専念します。

創業106年を迎える「きものサロン和の國」の代表、茨木國夫・60歳です。
家業は着物屋、僕で3代目となります。
初代祖父母が創業。高度成長とともに呉服屋全盛期の時代に生まれました。父母、姉・弟の7人家族。父母は毎晩遅くまで、着物を解いたりハヌイをしたりと仕事に勤しんでいました。僕は、姉や弟と反物の巻き棒でチャンバラごっこをしたり、小さい頃から着物の幅を調節する「湯のし」などを見たり、着物を水で洗う「洗い張り」などの手伝いをしたりして育ったので着物が身近にありました。

着物屋3代目着物一意専心


野球少年&自由奔放な学生時代

登校は、どんなに寒くても半袖半ズボン。
小学校低学年は剣道部で、メンをつけたままボクシングごっこ。小学4年生から中学・高校と野球一筋。宿題よりもグローブの手入れや素振りが優先、野球が青春そのものでした。

地元の熊本学園大学へ進学。オシャレに目覚め「アイビー少年」となり、デパートのアイビーブランド店の洋服売り場でアルバイト。大学4年になると準社員の名札を付け週6日間そこで働き、夜はフルコースを食べにいったりしてこの世の春を謳歌しました。

茨木國夫

大学卒業後、大阪空港近くの呉服店に2年間住込みで働きました。
修業を終え24歳で家業を継ぎ27歳で結婚、一男一女に恵まれました。ネクタイ大好きでしたが、仕事中はなるべく「作務衣」を着ていました。そして展示会の時には着物姿でしたが、どうせ仕事をするなら着物と生涯を共にしようと考え、32歳の時フランスのパリで「きもの宣言」をしました。

衣冠束帯と十二単衣で結婚披露宴パリできもの宣言


見て聞いて、現地に足を運んで…。

着物を毎日着るようになったので、季節や着る場所に応じて揃えることから始まりました。
そうすると夏は浴衣位しか知らなかったのが、麻の「小千谷ちぢみ」が着やすいとか、梅雨時はさらっとした「久留米絣」が心地よいなど・・・、四季折々着物を着ることを通して「男の着物」に詳しくなっていきました。
今まで取引していた問屋には、着物・帯・小物など一社で何でも揃う所がありましたが、男物は男物の専門問屋、織物は織物の専門問屋、帯は帯の専門問屋が存在することが次第に分かっていきました。

普段に着る「紬の着物」が好きになり、日本各地にある紬の制作工程にも興味が沸いてきました。問屋さんにお願いして製造現場を見せていただくようになり、職人技の凄さを肌で感じていきました。いつの間にか、「見て聞いて、現地に足を運んで、自らがその着物を着て納得した上でお客様にオススメすること」が僕の仕事の流儀となっていきました。
今日まで、北は青森県の裂織から、南は奄美大島紬・沖縄の芭蕉布まで全国各地を20ヶ所近く探訪し、作り手の生の声や思いを聞いたりして見聞を広めました。一番興味を注がれた茨城県結城市には5回訪れていますが、また一番行ってみたい所です。

八丈織・菊池洋守氏探訪みさやま紬・横山俊一郎氏探訪


身体が震えた「本場結城紬」の作業工程

今から25年前、36歳の時に茨城県・結城市で目にした「本場結城紬」の作業工程には、身体が震えました。
真綿から糸を引くおばーちゃんの姿、男の仕事である絣くくり、身体と機が一体化した結城紬の機織り…。静寂な空気の中で、作業の音だけが聞こえてきます。職人一人ひとりの息遣いまで聞こえてきそうです。
本や写真では見て知っていたつもりなのですが、「ひたすら一つの仕事に打ち込む姿を通してあの結城紬が出来上がるんだ。」…と、それぞれの工程を目の当たりにして、その夜は興奮して眠れませんでした。

本場結城紬と感動の出会いを果たした翌年、今度は3泊4日で機織りの得がたい体験をさせて頂きました。見るとするでは大違いです。結城紬の魅力に惚れこむどころか、機織体験で左足はパンパン、腰もガクガク状態。極度の筋肉痛になり足を引きずりながら仕事の大変さに圧倒されて帰ってきました。

本場結城紬・絣括り見学本場結城紬・地機機織り体験


本場結城紬は「高機・たかはた」からスタート

早速、問屋さんのススメにより上半身で織る「高機」の本場結城紬を求めてみました。2~3回洗い張りをして着用しても僕の身体に馴染んでくれません。「何でだろう?」という疑問が頭の隅に残りました。

結城紬を大きく分けると、「結城紬」と、2010年にユネスコ無形文化遺産無形文化遺産に認定された「本場結城紬」があります。着物業界の重鎮の話では「お客様の約8割は『本場結城紬』ではなく『類似の結城紬』をお持ち。」と言われるほど、名前も風合いも似ているので違いを見分けるのは呉服店の店員さんでも難しいものです。ましてや販売員さんが本場結城紬の着心地を知らないでお勧めなさることが多いので、本当に確かな情報はお客様の元へ届いていないようです。

加えて、本場結城紬(以下、結城紬)の中には、上半身で織る「高機・たかはた」と身体全体を使って織る「地機・じばた」、そして横糸に撚りをかけたものを身体全体で織る「縮結城・ちぢみゆうき」の三種類があります。それぞれに個性があり似て非なるものですがの証明書も似ているので、「何を信じて買ったらいいか?」というお悩みの方もたくさん見受けられます。


目利き力を高めるために、3種の本場結城紬を愛用!

そのことに気づかせてもらったことで、今以上に「目利き力」を高めなければいけないと思いました。結城紬の価値を伝えるために、コツコツ貯めていた定期預金を解約し、結城紬の「高機」に加え、「地機」と「縮結城」を買い、何度も洗い張りを繰り返し着続けました。階段の上り下りや車の乗り降り、重い荷物をもったり正座をしたり旅行に行ったりと、普段の着物生活の中で本場結城紬の「地機の着心地」を体感していくうちに、今までに経験したことがない着心地に包まれていきました。

結城紬の地機は、張りがあるのにしなやかで、着物を着ているのに、軽くて誠に着心地が良く、何かに守られているような感覚にもなり、脱ぐのがもったいない思いに駆られます。1200年変わらぬ技法と30余人によるスペシャリストの手から手によって作らたものを身にまとっているからでしょうか・・・。僕の心を、優しく、強く、豊かに育んでくれます。それは僕の「最強の応援団」でもあり「守護神」のようでもあります。

お着物好きの皆さまにも、ぜひその感触を味わって頂きたいと思います。

着心地抜群の、本場結城紬


価値ある品物は、長い年月の経過とともに美しく

「古きを温ね、新しきを知る」とありますが、時代を超えてきた古典や伝統技能には現代にも通じるゆるぎないメッセージを感じます。僕は、茶道・能楽を学んだことで、洋の東西を問わず骨董・古美術品に興味を持つようになりました。価値ある品物は、長い年月の経過とともに美しくなってゆくものです。それは人間と同じで、時を刻んで人間味が出て熟成されていきます。

秘めた美しさを持つ結城紬も同じように、飽きがこなく、着るほどに身体と一体化し、優しい風合いになってきます。本当に良い着物は親子三代と受け継がれ、特別な想いを抱きながら「私の宝物」として愛用することができます。

そのような経験を重ねながら、本当に価値のある着物の良さを分かってもらいたいと思い、熊本市内(熊本電気ビル・熊本ホテルキャッスル横)に「きものサロン和の國」をオープンしました。数年前は、室町の加納織物さんのご縁で、縞屋の宮崎織物(茨城県・結城市)さんにお越しいただき、ご来店の皆さまに「糸とり」や「機織り」の体験を通して匠の技の片りんに触れて頂きました。

本場結城紬・糸取り体験本場結城紬・地機体験


10年後20年後も「買って良かった!」と心から思える着物を。

僕は、10年後20年後も買って良かったと心から思える着物、本当に着やすく価値ある着物を提供しています。具体的には、街着やメンズの着物から、格調高い「のり糸目友禅の訪問着」、そして着物の女王「結城紬」まで、本当に自分が納得できる着物だけを取り扱っています。

本場結城紬検査協同組合の検査合格の印鑑が押されている「本場結城紬」でも、糸とり、機織りなど30余の工程全てが人による手仕事であり、織り上がった季節も様々なので、合格品であっても手で触れるとそれぞれに個性があります。鮫肌のような風合い、真綿のふっくらとした風合いもあります。
お客様より「たくさん着物を持っていても、やっぱりいつも手に取ってしまうのは和の國さんの着物なのよね」というお言葉をいただくと、何ものにも代えがたい喜びを感じます。

高級着物、大島紬・結城紬専門店


僕の教科書であり、座右の着物が結城紬なのです。

振り返ってみると、僕が全国の染織家を訪ね歩き、結城紬の産地に足しげく通わせていただいたのも、一途な仕事ぶりを目の当たりにして自分の心と向き合うためでした。糸を手で紡ぐ音は、まさに心臓の鼓動のよう。職人さんの匠の技はもとより、仕事に打ち込む一途な姿勢、その姿こそが生きた教科書となりました。僕にとって、「座右の着物」が結城紬なのです。

創業106年の感謝を胸に、この生まれ育った熊本の地で、祖父・父と受け継がれた家業に専念し、上質で素敵な着物ライフを送っていきたいと考えています。
これからも、共に歩み風合いを育てていけるような「結城紬」を始めとした、着物の素晴らしさ・美しさ・豊かさを伝えてまいります。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。

きものサロン和の國 茨木國夫 拝

メンズ着物なら和の國へ

【主な染織工房探訪先、及びお会いした染織家】
青森県/裂織、茨城県/本場結城紬、東京都/小島秀子、東京都八丈島/八丈織/菊池洋守、東京都八丈島/黄八丈めゆ工房、神奈川県/吉田美保子、栃木県/芝崎重一/芝崎圭一、石川県/士乎路紬、長野県/みさやま紬/横山俊一郎、京都府/喜多川俵二、京都府/洛風林、京都府/丹波屋、京都府/安田工房、京都府/市川染工房、島根県/天野圭、徳島県/本藍工房、福岡県/博多織、福岡県/久留米絣、鹿児島県奄美/本場大島紬/山口織物、沖縄県/芭蕉布/平良敏子、沖縄県/紅型/玉那覇有公…他
草木染/志村ふくみ、染織/山下健、染織/柳宗、染織/本郷孝文、染織/加藤富喜、型絵染/添田敏子、型絵染/森田麻里、型絵染/釜我敏子、花織/ルパーズミヤヒラ吟子、熊本県/岡村美和/黒木千穂子/島崎澄子/堀絹子/宮崎直美/溝口あけみ…他(敬称略・順不同)