一昨年まで20年余、アークホテル熊本で「茶の湯文化教室」が月に一度開かれていた。そんな中、故人となられた元講師の「富田禎治先生を偲ぶ会」というお茶会が、白川公園お茶室・山雲軒であった。私は裏方のお手伝い。お菓子やお抹茶をだしたりする「お運び」だ。男性なので、お正客に一番にお菓子をだす役目が廻ってくるが、緊張のあまり手が震ったりするがそんなこともない。こう言っては失礼だが、お手前をしない分、少しは気が楽だ。しかし、会が会なので、今回は、着物姿もより慎重になる。亭主側は、深い色目の無地に喪服用の名古屋帯の装い。私は、黒紋付(5ッ紋)を着た。半衿は、山鳩色の塩瀬羽二重。袴は、紋無双の常盤色。 柄は、青海波文様。先生の茶の湯文化を末代まで残したいという思いを,、その文様に重ねた。 私の場合、黒紋付を着ることイコール、お能のお謡いやお仕舞という図式が出来上がっていたが、今回お茶席に黒紋付という初の試みとなった。お能関連なら、同じ黒紋付でも袴が仙台平となる訳だ。紋袴はお能では履かないので、今回、お茶とお能の融合ファッションという感じがし、自分で鏡を通し着姿を見ながらその違いを改めて発見した。 お軸は、故人直筆の般若心経、十数年日々書き続けられた先生の精神がそこに宿っているような気がする。先生と、心の対話が出来る。古銅に生けられた白の曙椿が、凛としたお席を一層引き立てている。水差しも白磁。偲ぶ会に相応しいお席が出来上がっている。私も薩摩焼の観音様の咬合を持ちこんだ。朝8時集合、夕刻4時過ぎまで。立ったり座ったりの繰り返し。座る時に膝をつくので、夕刻にはそこが段々痛くなってくる。しかし、時間がある時に、こっそりお仕舞の型や足の運びを練習しながら、沈香(練香)の香り漂う中、日本人らしい…和(なごみ)の一日を過ごすことができた。 事務所で普段着に着替え、店に戻ると超現実。お客様やPC業務が目白押し。安土桃山時代は何処へやら。夜は、ワイズメンズクラブの企画例会の為、車に乗って熊本YMCAに出かけた。