和の國便り111号の入稿が迫る中、午前中京都・藤井絞りの藤井浩一氏にお出掛けいただいた。氏は京都の仕入れ先。毎日、着物を着て仕事をされている。氏もこの業界が着物を着ないで販売していることに疑問を抱いているその一人だ。着物を自分の食べる道具として売る為ならスーツで良かろう。しかし、未来の子どもたちにも残すべく、日本の文化と捉えるならば、やはり仕事中は着物をきるべきだ。 余談だが、カラス族(スーツに身を包んだ京都の問屋のおっちゃん達)に「何で着物を着ないのですか?」と尋ねたことがある。「紺屋の白袴といいましてね~。」「そうは思っていますけど…」と、いい訳も上手い。流石だ。「衣服は皮膚の延長である」という言葉があるが、やはり、自分の仕事に誇りを持ち、「日本人の心を」と叫ばれている昨今ならば、今こそ業界人が着物を着るべきだ。似合う似合わないは関係ない。着ているうちに体に馴染み、帯の位置も決まり必ず似合ってくる。 話は戻るが氏は「小生に感化され着物を着だした」と聞く。理由はどうであれ、着物を着て仕事することが天晴れだ。本当に素晴らしい。天然素材に現代感覚をマッチした…和の國オリジナル「羽衣」(仮称)の発表も、より現実味を帯びてきた。桃の節句、3月3日発表といきたいところだ。お昼からは、和代ご夫妻と八千代座談義、夕刻は、みかこさまと着物日記談義。成人の日の着付けへの思いも一緒だ。勇気づけられる。京都からの応援商品もダッシュで返品。袴を履いていたので荷造りもしやすい。鯉口の上に浴衣の長じゅばん、みさやま紬(単衣)、袴はお召の夏袴姿のおかげか、気合充実の一日。帯を締めると気持ちがシャンとなるが、袴を履くとよりシャンとなりエネルギーが満ちてくるような気がする。