和の國ファミリーのみなさま、こんにちは。923こと茨木國夫です。
季刊誌《美しいキモノ》他のライターであり、「熊本ゆかりの染織作家展」などでもお馴染みの安達絵里子さんが、先日ご来店になりました。(このお写真は4月上旬に和の國前で撮影したものです)
その際に「きものの魅力」や「良さ・素晴らしさ」などをお尋ねしていました。着物談義に花が咲き、僕が知りえぬ奥深い価値観をお話になられましたので、皆様にもお伝えしたい…と再度ご連絡をさせていただきました。
そうしたら、流石きものライターさんです。
「きものの幸せ」というテーマで、早速 したためてくださいました。
ぜひ、お付き合いください。
【きものの幸せ】 安達絵里子
「端正なたたずまいを見せる」、「上品な奥行きの深さを感じる」・・・・・・「きものの魅力」を國さんから問われて、さまざまな言葉が頭によぎりました。
「でも何と言っても、あの安心感!」これに尽きるかなと思いました。
きものは周知のとおり、12メートル余もの反物から直線裁ちで仕立てられます。洋服よりずっと布の量が多く、身にまとわりつきます。そのためでしょうか、「包まれている」安心感があるのです。それはともすれば「洋服よりも機動性に欠ける」ともいえるのですが、たっぷりとした布たちに付かず離れず身を「包まれて」、言葉を換えれば「抱(いだ)かれて」、「私はひとりではない」という確かな安心感がきものにはあるように思うのです。
それを痛感したのは2016年の熊本地震でした。我が家は比較的震源地に近いほうでしたが、運良く被災をまぬかれ、避難所のお世話になることはありませんでした。そのため変わりなく「いつものきもの姿」で、あの不安な毎日を過ごしました。とうていおしゃれな紬や小紋などの絹物を着る気にはなれませんでしたが、家庭着の木綿のきものは、私の心身をしっかりと包み込み、守ってくれるように思われました。「きものを着ていて良かった」と心から思ったのもこの時でした。
それをどのように例えようか――そう考えたとき、私の人生において一度だけ経験した妊娠生活に思い至りました。ようやく授かった喜びから始まった妊娠生活は本当に幸せな日々でした。命の存在を信じられないような思いで受け止め、そのうち胎動を感じるようになり、語りかけるようになりました。いつでも一緒です。うっかりスイカを食べてお腹を痛くしたり、大きくなって横向きでしか寝られなくなったり、大変なこともあったけれど、いつでも一緒にいる喜びは何にも代えがたく、心あたたかく幸せでした。
無事の出産は喜びではありましたが、私の身から離れてしまった寂しさも少し感じました。退院前には私と違う子どもの血液型を知らされ、「ああ、この子は私から離れ、自分の人生を歩んでいくんだな」と感じたのは今も忘れられません。
きものを着ている時に感じる安心感は、あの妊娠時代の「いつでも一緒」の幸せに似ていると思いました。心を寄せるものがいつも我が身と共にいてくれるということが、どんなに心強く、幸せなことでしょう。
毎日の生活の中で、そんなことは考えもしなかったけれど、きものの本質を真剣に考える國さんからの問いかけに、引き出されたのでした。
追伸:
「婦人画報」公式サイトで「安達絵里子のきもの暮らし きものが教えてくれること」の連載を50回続けられました。
楽しく学び多き内容です。良かったら下記をクリックしてご覧ください。
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