ボクは洋服を捨て29年。昼夜を問わず毎日着物だけを着続けています。
それを「きもの宣言」と命名していますが、宣言をする前の30歳の頃、忘れられない出来事が二つあります。
忘れられない出来事、その一
着物離れが加速する中、問屋さんから宝石・布団・掃除機・健康器具など、様々な商品の提案がありました。他社の成功例や、複合商品を扱わないと生き残れないなどの話が再三あると不安になります。意を決しキャンペーンに挑みました。
僕の役割は、宝石の担当者とお客様宅に訪問することです。
お客様宅に訪問すると、横で聞いている僕が欲しくなるほど流れるような話しぶりです。僕は、お求め頂くとお礼を言ってクレジットを切ればよいだけです。最初は「おー凄い、ラクに売れる!」と思いましたが、何か違和感が残りました。「自分で理解していないものを、大切なお客様にオススメして良いのだろうか?」「何かあったら僕が責任を取れるだろうか?」などの気持ちが渦巻きだしました・・・。
忘れられない出来事、その二
「きもの宣言」をする前年、「継承展」という大きな展示会を菊池市内のホテルで3日間開催しました。3代目就任ということで、黒紋付(くろもんつき)・羽織(はおり)・袴(はかま)姿で臨みました。問屋・マネキンさん合わせて10名にお手伝い頂くほど会場も広く、気合十分です。僕はご来場の方へのご挨拶と、着物をお求め頂いたら「ありがとうございます。」と御礼を言う役割です。
振袖営業の際にご縁を頂いたお客様が、訪問着をご試着なさっていました。「この着物似合う?」と僕に聞かれました。正直もう一枚の上品な着物の方が、地色が薄くお顔映りが明るくなると思いました。しかし問屋さんはご着装の着物を販売したいご様子です。空気を読んで思わず「はい、似合います!」と言いました。「本当にそう思う?」と聞かれドキッとしましたが、「本当にそう思います!」と言葉を残し、そこから逃げました。昼食を食べる時間がないほど連日たくさんのお客様にお出かけいただき売上げも上がりましたが、何故だか心底喜べませんでした。
「僕の存在価値はどこにあるのだろう?」「何のために仕事をしているのだろう?」と自分自身への問いかけが始まりました・・・。
自分で納得した商品だけを。
その翌年、着物だけで生涯を送ることを決めました。
僕はこれまで、「将来への不安」をきもの宣言をした理由にして歩んできました。しかし心の奥底に潜んでいた感情は「本当はお客様に心から喜んで頂きたいのに、本音を言わずに申し訳ないことをした。」という気持ちでした。
「自分で納得した商品だけ、自分で説明できないモノは絶対オススメしない」と心にくさびを打ち、本物人間を求めて着物と歩んでいくことこそが「きもの宣言」でした。
お客様のお役に立つ着物屋を目指して・・・。
おかげ様で、きものサロン和の國は創業106年を迎えます。
地元・菊池にはかつて養蚕農家が多く、初代・茨木弦雄は「京染」を通してお客様のお役に立つ為に創業しました。
二代目・茨木國廣は初代の思いを胸に、正直で真面目な仕事を88歳を超えてもなお毎日コツコツと重ねています。
僕は、お客様に導かれたことで、初代、二代目の「商いの原点」を知ることができました。
「きもの宣言」から29年目・・・。
僕も三代目として、商いの原点である『お客様のお役に立つ着物店』を目指し、今日も歩み続けます。
令和4年、立春によせて
きものサロン和の國 茨木國夫